ALSでも、私らしく生きる──10年の閉じこもりから、再び外の世界へ

49歳。
かつては、忙しい現場で働く看護師でした。
三人の子どもを育てながら、仕事に家庭に、全力で生きていました。
しかし、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症してから、人生は一変します。
声を失い、身体が思うように動かなくなり、人工呼吸器を装着しての生活。
結婚生活は破綻し、子どもたちとも疎遠に。
その後は障がい者住宅での暮らしとなり、10年間で外出したのはわずか1回だけ。
「生きること」が日々の戦いになっていきました。
文字盤と「伝の心」でつないだコミュニケーション
声を出すことはできなくなっても、想いは消えませんでした。
文字盤を使って一文字ずつ伝えたり、「伝の心」というツールでメッセージを打ったりしながら、
介護者や家族と心を通わせてきました。
そんな日々の中、支えとなっていたのが、信頼していたヘルパーさんの存在でした。
ところが、コロナの後遺症でその方が心タンポナーデを発症し、入院。
そのまま担当から外されてしまうという、思いもよらない出来事が起こります。
「あの人の介護を受けたい」──再び動き出した人生
家族も本人も、そのヘルパーさんの介護を受けたいと強く願いました。
けれど、今の施設ではそれが叶わない。
それなら、自分で動こう。
「一人暮らしをして、その人に介護してもらう!」
そう決意し、長年の住まいを離れて、東大阪市への引越しを決意します。
キーパーソンも高齢の母から妹へ。
物件探し、往診医や訪問看護の手配、役所での複雑な手続き──。
次々と立ちはだかる壁を、家族と一緒に一つずつ乗り越えていきました。
「せっかく一度きりの人生だから」──京セラドームで見た夢の景色
新しい生活が始まってからも、不安は尽きません。
それでも、「せっかく一回しかない人生だから」と勇気を出して外の世界へ。
そして、京セラドームで野球観戦!
10年ぶりの外出。
人工呼吸器をつけたままでも、笑顔で応援する姿は、周囲の誰よりも輝いていました。
「次は競馬場に行く!」
そう語るその目には、再び未来を見つめる光が宿っていました。
発信する力──「ALSでも、自分らしく生きる」を届けたい
今、彼女はYouTubeやTikTokを通じて、
「難病があっても地域で一人暮らしができる」
「障がいがあっても、自分らしく生きられる」
そんなメッセージを、実体験をもとに当ブログのように発信しようとしています。
笑顔も、涙も、闘いの日々も、すべてが彼女の「生きる証」。
その姿は、同じように悩み、迷う誰かの背中を押すはずです。
